@pikatiu24
だまたなり
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2021-05-04 12:52:36
    kiri2

    “羽生善治氏「経験豊富とは、たくさん考えるんじゃなくて、たくさん考えないということ。経験を積むことによって不必要な情報は捨てられる。足し算の蓄積で経験が生きるということではなくて、無駄なことを省くことができるというのが本当の意味での経験を生かすということなのかなと思っています。」”

    Twitter / 孫泰蔵: 羽生善治氏「富とは、たくさん考えるんじなくて … (via gothedistance)
    2010-11-16 (via gkojax-text)

    highlandvalley

    “万葉集を読むと、美しい景色に感嘆を漏らしてたり好きな人に想いを伝えられなくてクヨクヨしてる歌が多いのに、それから二百年後の源氏物語や枕草子だと和歌がすっかり出会い厨の道具だったり「うまいこと言い合い合戦」になってて、SNSの栄枯盛衰を見てるようで日本人って変わらないなと。”

    Twitter / tarareba722 (via squarejewel)

    alto-n

    “高校の同期に教えて貰った→ 「知的であるかどうかは、五つの態度でわかる。 世の中を見渡すと、あらゆる属性、例えば学歴、職業、資格、言動、経済的状況などが「知的であるかどうか」のモノサシとして使われており、根拠があるものないもの含め、混沌としている。 だが、私がこの先生からお聞きした話はそういった話とは少し異なる。 彼は「人間の属性と、知的であるかどうかの関係はよくわかりませんが、少なくとも私が判断をするときは、五つの態度を見ています」 という。 エピソードを交え、様々な話をしていいただいたのだが、その5つをまとめると、次のようなものになった。 一つ目は、異なる意見に対する態度 知的な人は異なる意見を尊重するが、そうでない人は異なる意見を「自分への攻撃」とみなす 二つ目は、自分の知らないことに対する態度 知的な人は、わからないことがあることを喜び、怖れない。また、それについて学ぼうする。そうでない人はわからないことがあることを恥だと思う。その結果、それを隠し学ばない 三つ目は、人に物を教えるときの態度 知的な人は、教えるためには自分に「教える力」がなくてはいけない、と思っている。そうでない人は、教えるためには相手に「理解する力」がなくてはいけない、と思っている 四つ目は、知識に関する態度 知的な人は、損得抜きに知識を尊重する。そうでない人は、「何のために知識を得るのか」がはっきりしなければ知識を得ようとしない上、役に立たない知識を蔑視する 五つ目は、人を批判するときの態度 知的な人は、「相手の持っている知恵を高めるための批判」をする。そうでない人は、「相手の持っている知恵を貶めるための批判」をする。 知的である、というのは頭脳が明晰であるかどうか、という話ではなく、自分自身の弱さとどれだけ向き合えるか、という話であり、大変な忍耐と冷静さを必要とするものなのだ、と思う。」”

    http://blog.tinect.jp/?p=16095 (via takigawa)

    zaki123

    “海外の人が日本史を解説する動画が結構好きなんだけど「イエヤスは若い頃、名をタケチヨと言い、イマガワ・クランのホステージだった。」とか「ノブナガはアシガルによるトライフォールド・ガンラインを並べてタケダ・クランの名高きキャバルリー部隊を打ち破ったとされるが・・・」がいちいち刺さる。”

    m u r oさト (via gkojax)

    shinjihi

    “例えば、転職するかどうか、いつまでも迷い続ける。するとその間は、ノイズが心に走っていて何もしていないのです。ストレスもたまります。ストレスがたまると、もっと判断力が鈍ります。 サッと最初に出した結論と、数カ月も迷って考えた挙句に出た結論——どちらが正解に近いかというと、実は最初に出した結論の方が正しかったりするのです。というのは、数カ月間も考えてイライラして、疲れ果てて決めた結論というのは、判断を誤らせることがあるからです。こうしたジレンマに陥らないためには、迷いはじめた段階で「あっ、苦しみが生じている」と思うことです。 いつまでも迷いつづける本当の理由は、あれこれ迷うと刺激が発生するからです。それを心が喜んで、クセになっているのです。その感覚にハマってしまうと、判断を誤ってしまうだけではなくて、失敗するのです。 仕事がギリギリにならないと手をつけられない人がいます。こういう人はギリギリの時間になるまで心があれこれさまよっていて、100秒中50秒どころか、100秒中95秒ぐらい何もしていません。そして時間が迫って追い詰められると強い刺激が発生して、心が乱れてうるさい状態になります。この状態を何とかしたいと思って、がむしゃらに頑張ります。そして、やっつけ仕事でとにかく終わらせる。終わらせると、強烈な苦しみがパッと消える——そこに落差が生じます。それはたまらない刺激で、これを「快楽」の刺激として心は認知します。これが人間が幸せだと感じる構造です。”

    住職に学ぶ、集る方法 カデズ (via macotoi) (via hyasuura) (via mnky) (via halfdry) (via satellite0) (via yamo) (via d-d-d) (via honeydip5123)
    20
    10-02-08 (via gkojay) (via usaginobike) (via mago6)

    quote-over1000notes-jp

    “・仏教では、なんらかの刺激を受け、それに対する痛みや反応が生じるのを「一の矢」と呼ぶらしい。これはいたしかたがない。どんなに修行しても、痛いものは痛い、悲しいものは悲しいと言う。失敗したら、後悔もするだろう。ところが、修行していないと「二の矢」にやられてしまう。二の矢は、そのことをいつまでも思い悩み、自分を責め、自信を失い、不安を増大させる。 ・仏教では、「一の矢は、避けられない。しかし二の矢は、叩き落とさねばならぬ」と教えられるという。”

    『平常心を鍛:紙魚:So-netブログ (via danbora)

    Quoraからの素晴らしい回答です。翻訳者も素晴らしいので引用します

    他人からの承認を求めない。 自己評価こそが最も重要。

    問題の合理化を試みる。否定的、圧倒的な感情によって自分の判断が覆るのを許さない。

    建設的批判を貴重なフィードバックと捉える。個人の成長の機会として。

    非建設的な批判に激昂しない(またはしないよう努めている)。精神的に強い人は、誰かに否定的な事を言うためだけに自分の時間を奪っている人間を相手にする価値はないと考える。

    逆境を受け入れる。感情的に強い人は、生きていく上で必要な要素として、苦難をより強く、より賢くなるために必要なものと捉えている。

    楽観的または肯定的な考え方を持つ。内面が暗い状態だと、毎日太陽が輝いていても、それが自分を元気づけることはできないから。

    恐怖が自分を麻痺させることを許さない。

    過ちが自身を定義するものではないことを心に留めている。

    直面している問題について嘆いて、その理由を他の人のせいにするのではなく、解決策を見つけることに注力している。

    感謝の気持ちを持ち続けること。恵まれていることを完全に無視し、足りていない部分にばかり目を向けることほど人を病ませる行為はない。

    https://bit.ly/3lUeLT8

    quote-over100notes-jp

    “○デビッド・ボウイでもポール・マッカートニーでも、外国人アーチストはよく日本に来ます。これにはちゃんとした理由があって、①昔からのファンがいるから、チケットがかならず捌ける、②客層がいいので、モチベーションが高い、③キョードーなどの興行主がしっかりしているので、不愉快な思いをしなくて済む、④日本は安全だしメシも旨い、などはいかにも納得なのですが、ちょっと意外なものとして、「1度の出張で複数のコンサートを要領よく開くことができる」というメリットがあるんだそうです。 ○端的に言えば、「東名阪で3回」とか、「ついでに札幌と福岡も含めて5回」とか、同じ規模のコンサートを同一国内でいくつも開けるというのが、演じる側にとってはまことに魅力的なのです。アジアでこういう国は少なくて、韓国だったらソウルだけだし、タイならばバンコク、フィリピンならマニラのみとなる。中国では北京と上海、というのも可能ですが、移動時間が長い。その点、東京と名古屋間、名古屋と大阪間の移動の簡単さを考えれば、「日本はとってもいい国」に見えるんだそうです。 ○われわれは「日本は一極集中」だと思ってますけれども、南北に細長い国土にドーム球場が5つもある、なんて国はそうそうあるもんじゃありません。なおかつ、移動時間も短いし。こういう点は、他人に言われないとなかなか気がつかないことですよね。”

    かん不規則発言 (via irregular-expression)

    quote-over100notes-jp

    “大人がちゃんと綺麗事を言う社会にした方が絶対良いって。逆張りとか冷笑みたいな態度は若い奴に任せて、大人は腹をくくって綺麗事言わないと。人種差別も女性差別も、経済格差の肯定も、戦争も、全部ダメですよ。人間なんだから、人間らしく生きようとしないとダメ。ちゃんとしましょう。”

    コメのツイート (via quotation2)

    chkk525

    “例えば、インドでは、サムスンのテレビの右隅には、どのチャンネルにしてもクリケットのスコアが表示されるようになっていた。クリケットはインドの国技であり、インド人はテレビでクリケットを見るのが大好きである。ところが、競技時間が6~8時間と長い。それで、ちょっと隣のチャンネルを見てみたい。だけどクリケットのスコアも気になる・・・、というインド人の要望に応えたのがサムスンのテレビだ。これで日本製の半額である。  また、インドの冷蔵庫には鍵と瞬停用のバッテリーがついていた。泥棒の多いインドでは冷蔵庫にも鍵が必要なのだ。さらに、停電が多いため、数時間程度だったら、内蔵したバッテリーが機能する仕組みを韓国製の冷蔵庫は備えていた。それで、日本製の半額である。日本製はまったく売れていなかった。”

    ボツになった「テレビ産の真相」記事 凋落の兆しは2004年からあった (via katoyuu)

    edieelee

    “本で読んだのだが「熟睡出来ない」人は寝室の換気不足ってのを読んだ事があって、仕事の日は起きづらい、休みの日でもダラダラ寝ちゃうのって寝てる間の部屋が酸素不足になってる場合があるから朝窓開けて換気するってより寝る前に換気して寝てみたらいいよ、と。騙されたと思って1回やってみて。”

    あの佐んのイート (via dechnoboow)

    petapeta

    “2)「カラ売り」による決算ができなくなる 本の販売は、再販制度という特殊な制度に守られている。これは、小売店(書店)には定価での販売を強制できる代わりに、自由に返品を認めるという条件だ。 書店は、(実際にはキャッシュが動くものの)仕入れて売れなかったら自由に返品ができる。だから並べたいだけ並べて、売れたら良しという売り方がスタンダードだ。このことを利用して、書店の生き残り策としての大型化が進んでいる。大型化したら普通は家賃リスクだけでなく在庫リスクも拡大するのだが、書店にはそれがない。 この制度下では、出版社の営業マンは書店に対して非常に売り込みやすい。「あかんかったら返品してくださったらいいので、とりあえず仕入れてもらえませんか」という言い方ができるのだ。 この再販制度をどんどん(悪い意味で)活用していくと、決算前の直前、たとえば3月に大量の新刊を出し、書店に仕入れてもらっていったん仮の売上と利益を計上する。そして決算期をまたいでから返本を受け付けて、そこで損失を計上するのだ。そして次の3月が来たら、また大量の新作を出すということを行う。これを僕は「出版社のカラ売り」と呼んでいる。 誰が見ても自転車操業なのだが、それが出版業のおそろしいところで、帳簿上の黒字が簡単に作れてしまうのだ。そして、苦し紛れに自転車操業をしていたところ、いきなりベストセラーが出て「隠れ負債が一気に解決…」といったことが本当に起きたりするのだ。それがわかっているから、いつまでも「隠れ負債を持ったまま一発逆転を夢見る」ということが起きる。 電子書籍の時代になれば、売上は全部クリアになる。電子的に、売上が発生したら金額と時間がはっきり出る。再販制度を利用した上記のような「カラ売り」はできなくなる。 そのことが多くの出版社にとっての参入を思いとどまらせている。カラ売りは1度手を出したら止められなくなるから、しばらくは電子書籍と紙媒体について、併売するということは止められないはずだ。その理由がここにある。”

    121201 出版社が電子出版(電子書籍)にい3つの理由 : 京都から世界へ -藤田功博の京都日記- (via otsune)

    botan500

    “tumblrとかtwitterとかで、どこからか引用してきた大量の素材でページを形成していると、それが人格の発露と見なされる。行き着く先は映画「イノセンス」か。ネット出現以前の古典の引用だけが意味あるものとして見なされるような。いや、コミュニケーションにおける攻撃と防御を突き詰めた果てに出現する、「誰も自分の言葉で会話しようとしない世界」かも。”

    waveriderの日記 コラージュ人格 (via attrip)